つぶらいん

本や映画のレビューを中心にしつつ、ぼっち&出不精生活を満喫する管理人の日常のブログです

雑記

大嫌いな人の事を考えるだけ時間の無駄! とっとと脳内から排除する方法を自分なりに見つけよう

人間生きていれば「あのクッッソ野郎が!!!!」と思う日があるでしょう。

わたしもあります。

でも、そんな人にわずかばかりの脳内を占拠されるのも本当にイライラしませんか。
そんなことなら、クソ野郎の悪口を言う時間をさらりと好きなものに触れる時間に変えましょう。

好きな事をしてリフレッシュ、というのもいいですが、それすら手につかないぐらいイライラがおさまらないときってありますよね。

 

わたしの場合は、とにかく書く!

まず吐き出したいときは、人に言うのではなく、このブログの下書きにブワーーーーーーっと腹たったエピソードを人に向けて説明するように書きます。
で、少し落ち着いて読み返します。まぁ怒りの過程のディテールがどんどん上がってそこそこの仕上がりになるんですね。
で、一息入れたら好きな漫画でも読んで、いったん離れます。間違ってもそのままブログにアップなんて絶対にしちゃいけません。

書き出してまずスッキリ。
そこそこのクオリティに仕上がってさらにスッキリ。
そして好きな漫画やゲームでリフレッシュ。

さあ、そこでもう一度その文章を読みましょう。

腹立ちがよみがえります。よみがえりますが、これをブログに上げていいものかを冷静に考えます。するとこれは決して見せられない封印すべき罵詈雑言だな、という判断が下されます。自分の感情的な文章を改めて読むととてもよくわかります。

わたしは割と書き出すという行為がストレス発散になっているんですね。このへん、ブラインドタッチを覚えていて本当に良かったと思うんです。なにしろキーボードを打つのが大好きなので、長文どんとこいです。感情のままにガツガツ打ち込むのって結構快感なんですが皆さんどうでしょう。

打つだけ打って、ある程度スッキリして読んだとき、ちょっと冷静になれるんです。あいつのことは大嫌いなのは変わらないが、この感情を人様に読ませることはとてもできない、と。

正直な分、素の自分のなかなかに醜い部分もばっちり書き出されているんです。

人に見せる前提で書くといいのは、読ませる、と思うとあるていど取り繕うようになります。そこがまたみっともない。

で、それを直視するんです。

あいつのことは最悪に嫌いだけど、このように罵倒する自分もなかなかだな、という自己分析。

そしてさらに具体的にどこがどうで何に腹が立って、どうして許せないのかもわかります。

 改めて、その人への対処法を冷静に考えてみる

わたしの場合は大抵「必要最低限」というところに落ち着きます。最近会得したのは「ニコニコして対応して放置」です。つまり「あなたはあなたでご自由に。そうですか大変ですね(でもわたしは知りません)」を多少飾り付けてスルーする感じでしょうか。

縁を切れればそれでいいんですが、腹が立ってしょうがない時って自分じゃ切れない相手だったりしますよね。
喧嘩して仲直り、なんていう間柄だったら、上記のようなことは必要ありません。それができるぐらいお互い分かり合っているのか、必要としているのか、相手のことがすきだからかだからです。

はらわた煮えくりかえって、家に帰っても「うがーーーーー!」ってなるのって、どうにもならない相手だったりします。職場の上司、同僚、後輩、はたまたお客さん、取引先、通りすがりの変な人。関係性の改善なんて一切望めないって、もう我慢一択しかありません。

気持ちの落としどころを自分で持っておくようにしたら、少しは感情の処理ができるようになりました。

これは人に聞かせても良い事なのか考えてみる

しかしながら、自分から出てくる負の感情というのもまた強烈です。
書いた文章を読み返してるとわかりますが、こう、相手に対して憎しみがあればあるほど自分で読んでいてキッツイです。やっぱり人を罵る言葉って、どう取り繕っても美しくはないんです。
いくらオブラートにくるんでも、遠回しだと嫌味でしかないし、ストレートだとただの罵倒だしで、「わー、わたしの感情醜い!」って思います。

でも、それを例えば対面で誰かに愚痴るって考えると恐ろしいです。愚痴ってつい出てしまいますが、それが改善をするためのアドバイスが欲しい場合でない限り、ただ吐き出したいだけですよね。言う事でスッキリはします。それはそれでいいんですけど、自分で綴った文章を読むと、こういうのを人に聞かせていたのか、と愕然とします。

自分の感情を客観的に見られる、というだけでも十分な効果が得られたと思います。
納得いかない事があったときでも、文章にすると整理されて、単に自分が感情的だっただけだった、なんてこともありますからね。

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