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【映画】木曜組曲/作家・重松時子の死の謎と5人の女たちの関係は? 恩田陸原作小説の映画化作品。

恩田陸の小説の中でもかなり好きな作品です

木曜の午後、亡き作家の家に集まる5人の女。

数年前に自殺した作家、重松時子。
時子の死に居合わせた5人の女たち。彼女たちは皆時子の身内です。
時子と異母姉妹の静子、時子の姪の直美、その異母姉妹のつかさ。静子のの姪の絵里子。そして血のつながりはないものの、時子と一緒に暮らしていた編集者のえい子。

時子の命日を挟んだ3日間、女たちは集まる。

時子は本当に自殺なのか。5人の女たちの中に殺人犯がいるのだろうか。

※後半で映画、小説の結末部分に少し触れています。ご注意下さい。

 

キャストのぴったり具合に震える

とにかく原作と合いすぎる女優陣に驚きです。こんなにイメージに合う映画化ってあるんですね。

観た印象は「舞台っぽい」です。そもそもとして恩田陸の小説を読むとそう感じる事が多いので、この感想を抱くのは原作の雰囲気をきっちりと映像化したという事でしょう。
台詞もほぼ原作通りなものが多いので、若干話し言葉としては違和感を感じたりもするんですが、そこも味になっています。

演じている女優の力強さが生きた映画でした。

 

きついような、羨ましいような5人の女の関係性

確執のある女5人、と書くとえらくドロドロしたものを感じますが、その関係性はさっぱりしているように思えます。お互いに思う所はあるし、疑い合ったり、ギスギスする部分も見えるんですが、基本言いたい事を言いあっている姿は羨ましい距離感です。

登場人物が同じようなことを言うのですが、日常と連続した人間関係はときに窮屈で、言いたい放題本音を言える(もちろん秘密はある)環境というのは得難いものです。
ここに登場する5人の女性たちはお互いに確かに思うところはあるんでしょうが、この場では限りなく本音を晒しているように思うのです。

親族という括りではあるものの、そこまで密ではない間柄でありながら、彼女たちをつなぐ時子という存在がその関係性を強めているのではないでしょうか。
形は違えど、物書き、という広義で同業で、各々の「書く」ことへの姿勢の違いもそれぞれに「わかるわかる〜」となれる共感性って稀有なんです。

 

原作の「木曜組曲」

この作品の最大の特徴は緊張と緩和です。
登場人物のひとりが問題発言をしたかと思うと、次のシーンには普通に皆でテーブルを囲んでいて、発言の真意が宙ぶらりんになったまま話が進んで行くんです。
重大なものを見つけたらまたお預けのまま次のシーンへとか。

この引きの緩急が上手いんですよ。恩田陸小説ではよくあるのですが、その「引き」に「わー、あれどうなってんの?」とページをめくる手を止められなくなる。わたしの中の一気読み作家の第1位です。なので恩田陸の小説を読み始めるときはしっかりと時間をとっています。途中で止めたくないもんね。

 

小説との違い

重松時子という作家の存在感がこの映画のキモだと思います。浅丘ルリ子が演じることでキャラクターの説得力が増しています。そのせいか、同じ「重松時子」でも小説とは印象が違います。

普通だとこういった結末の改変は原作ファンとしては嫌なものですが、それも納得の出来です。しかしそれは浅丘ルリ子の力が大きいです。

正直小説の結末は時子自身にとっては皮肉で、それが彼女の神秘性を剥いでいるといってもいい。その時子の人間的な感じが小説では生きています。

が、映画だとラスボス扱いで、浅丘ルリ子が演じることでの説得力がここで生きてくるんですね。どこか現実離れした動機や行動も彼女のが演じることで重みが増すんです。

全編を通して、物書きとしての彼女たちを分析する時子のすごみは浅丘ルリ子あってのものです。安っぽくならない大物感、すごいです。

原作ファンも納得の映像化です。

ご飯のシーンがすごく好きで、何回も観てしまう……。

 

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