趣味の話をしていて、ちょくちょく言われるのは「そこまでやる?」です。
趣味で漫画を描いています。アナログでしたが、あるときデジタルに切り替えました。
ソフトを買い、ペンタブを購入、パソコンも古かったので買い替え、そのための勉強の本を数冊買いました。
そこそこお金はかかりました。もちろん分割払いです。
そこで言われたのは「なんかがんばってるね(笑)」
これニュアンス伝わりにくいんですけど、言外に「そこまでやる必要ある?」が含まれているんです。前後の会話とかでわかっちゃう含みっていうのかな。
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楽しんでいるとわざわざ冷や水ぶっかけにくる人が現れるのはなんで?
漫画を公開するのに、サーバを借りてサイトを作りました。
自分でHTMLを勉強して、素人ながら簡単なものですが出来上がりました。
ピクシブもありますが、やはり自分のサイトはまた気分が違います。
ここでもよく言われます。
「お金をかけてまでサイト作ってるの? ピクシブなら無料だよ」と。
趣味というのは自己満足です。
カラオケがいくらうまくなっても、アーティストデビューできるわけではありませんよね? というか、デビューしたくて練習している人って一体どの程度いるんでしょう。でも本気で練習している人って沢山います。
これは結局の所、うまくなったら楽しいからなんです。
この歌を歌いたい!
練習して練習して、歌いこなせるようになったら嬉しいじゃないですか。
漫画も、こういう絵が描きたい、と思って描いて、結局下手で書けなくて、練習してを繰り返すんです。
理解してくれなくてもいいから黙っててくれ!
何の役に立つのか、という問は本当に悪です。
役に立たない物がこの世にどれだけあるのでしょうか。
本当に必要な物だけになった世界は楽しいのでしょうか。
誰かにとってつまらない価値のないものでも、別の誰かには最高に美しい物だったりするんです。
理解できなくてもいい、でも許容する心を持ってほしい。
理解できないものが全て不必要でないのと同じで、他者が大事にしているものを自分の裁量で不必要と切り捨てるのは違うと思うんです。
家族でも、友達でも、仕事仲間でも、どれだけ親しくたって、それをつまらないもの、無駄と断ずるのはあまりにも利己的です。
わからないもの、イコールつまらないものではないよね、とつくづく思います。